![]() | 我が家の楽園 (2006/12/14) ジェームズ・スチュワートエドワード・アーノルド 商品詳細を見る |
良心的アメリカ二ズムを訴えた戦前の名作
我が家の楽園 No.1
YOU CAN'T TAKE IT WITH YOU
製作:フランク・キャプラ/モス・ハート/ジョージ・S・カフマン
原作:モス・ハート/ジョージ・S・カフマン
脚本:ロバート・リスキン
撮影:ジョセフ・ウォーカー
音楽:ディミトリィ・ティオムキン
演出:フランク・キャプラ
出演:ジェームズ・スチュアート/エドワード・アーノルド/ジーン・アーサー
ライオネル・バリモア
■解 説■
名匠フランク・キャプラ監督の名作といえば「或る夜の出来事」「スミス都へ行く」「オペラハット」「素晴らしき哉!人生」などがすぐに思い浮かびます。その中でもアメリカらしい作品がこの「我が家の楽園」です。
原題は You Can't Take It With You. といい、そのまま訳せば「それを持っては行けない」になりますが、これはこの映画の原作となったブロードウェイのヒット作のタイトルであり、その邦題が「それを持っては行けない」だったのです。舞台と区別するために違ったタイトルをつけたのだと考えられますが、映画のタイトルのほうが原題のもつ雰囲気をうまく出していると思います。
You Can't Take it With You. とは確かに「それを持っては行けない」なのですが、この代名詞のit に特別の意味合いがこめられています。それはいわゆる「お金や財産」のことで、「どんなに裕福でもお金を墓まで持ってはいけない」という意味になります。墓まで持ってはいけない、だからこそ生きている今が一番大切だ、我が家が楽園なのだ、ということになります。
この映画は1938年封切りなので、なんと今から70年もの昔の映画なのですが、内容はまったく古びていません。現代にも通ずる第一級の人間ドラマ作品となっています。映画という新しい可能性に比例するが如く様々なメッセージが読み取れるのですが、今よりずっと規制が厳しかったこの時代に監督のフランク・キャプラは堂々と主人公に面白可笑しく自分の生き方を語らせます。特に主人公が税務局の担当者に「所得税は納得がいかんから払わん」と言わせるところは笑ってしまいます。
そしてこの映画の英語ですが、キャプラ監督の映画は「早口」で知られていますが、台詞の表現力は今でも使えるものばかりで学習者にはうってつけと言えるでしょう。粋な表現も沢山あり、取上げてみたいものばかりです。早口もよいリスニングの刺激になるので、耳と頭が活性します!
■ストーリー(1)■
軍需品生産の実業家カービィ(ライオネル・バリモア)は事業拡大のためには住んでいる住民の家を買い取り、敷地の買収をやってのける豪腕である。ある12区画の土地を手に入れたいが、一軒だけどうしても立ち退かない家族がいる。ヴァンダーホフ(エドワード・アーノルド)という老人とその家族、そして居候たちだ。
ヴァンダーホフはカービィの部下から再三の説得にも応じず、退屈な事務仕事をやっているポピンズという男を「自分の好きなことをやって暮そう」と逆に説得し、家に連れて帰ってしまう。その家では皆が好きなことをやっている。娘は戯曲を書き、その婿は地下室で元・氷配達人の居候男と花火を作っている。孫娘の夫は菓子職人、そして家事食事を黒人のメイドとその婚約者が賄っている。もう一人の孫娘アリス(ジーン・アーサー)がだけが「家の外」で仕事をもっている。
そのアリスの務める職場がなんと自分の家族の家と敷地を買おうとしているカービィの会社であり、しかも副社長になったばかりの二代目カービィであるトニー(ジェームズ・スチュアート)と恋仲になっているのだ!
トニーが自分の秘書(速記者)と恋仲になっているのを「発見」した母は、息子が秘書ごときに恋をしているなどと呆れ果てる一方、アリスの家族がカービィ家に相応しいかどうかを検分しようと考える。そしてカービィ夫妻がヴァンダーホフ家を訪れる時がきた・・・。
■この映画の英語■
フランク・キャプラ映画のようなクラシック作品から学べるのは「安心して使える表現」です。紳士淑女のみならず、市井の庶民から裏街道のおじさんまでが品格(上品という意味ではなく)を感じさせる英語を話しています。これは時代背景もあり、風紀的教育的観点も考慮に入れ、映画という媒体を通じて共通言語を分かち合う必要性が濃かったものと思われます。
しかしリアリティに欠けるというものではありません。役柄に応じてそれぞれの「らしさ」を追求しています。対照的なのは主人公のヴァンダーホフの話すくったくのない英語と、土地買収に躍起になるカービィの高圧的でビジネスライクな英語の違いです。以下に比較してみましょう。
孫娘の夫の課し職人にも性格付けがしっかりなされ、その上に相応しい台詞がつけられています。小手先が器用で即興で楽器を弾いたりするのですが、職人的な性格か、あまり丁寧な感じがしません。ぶっきらぼうで黒人の下男(死語ですね)に向かって "Hey, boy!" などと平気で言えるのはこの時代の風潮だとは言い切れず、黒人を boy 呼ばわりしない人はいたはずです。しかし、まったく酷い言語を話すのではなく、ある口癖で性格描写を果たしています。それは、
"What do you say?"
です。ヴァンダーホフが事務働きのポピンズを家に連れて帰ったときも
"What do you say, Mr. Poppins?"
と言います。普通なら "How do you do, Mr. Poppins?" なのですが、"How are you?" というべきところもすべて "What do you say?" で通しています。ちなみに上の訳は「ようこそ、ポピンズさん」程度なのでしょうが、実際語っているのは「どう、ここの居心地は、ポピンズさん?」という感じです。かなりざっくばらんとした挨拶ですが、台詞のひとつひとつが性格描写になっているので、人間観察にとても役立つのです。
ヴァンダーホフがポピンズを家に連れてくるエピソードも面白く、そして勉強になるシーンです。数字の計算ばかりやっていて何が面白い、家へきて自分の作りたいものを作ればいい、とヴァンダーホフはポピンズを誘いますが「どうやって生活すればいいのか?」が心配になります。そして以下の会話が続きます。
Well, who takes care of you?
と切実に問うポピンズ、これに対してヴァンダーホフは、
The same one that takes care of the lilies of the field,
Mr. Poppins. Except that we toil a little, spin a little,
have a barrel of fun.
この台詞は聖書のマタイの福音書6章28節がもとになっています。「なぜあなたがたは衣服のことで気をもむのでしょうか。野の百合がどのように育つのかをよく考えてみなさい。懸命に働く(toil)わけでもなければ、糸を紡ぐ(spin)わけでもありません(拙訳)」このあとの節で、野の百合のような明日は炉に投げ捨てられるような花にも神の思し召しがあるわけなので、一切心配しないでよい、というマタイの言葉が続きます。
ヴァンダーホフの台詞はこれをうまく使って、「野の百合を育ててもらえる人(=神)に任せておけばいい(=心配しないでもいい)。まあそれ以外は、ちょっと働いて(=toil a little)、ちょっと糸を紡ぎ(=spin a little)、大いに楽しむんだ」と、まるでマタイ伝の良い所を少し借りてあとは自流で作り上げた可笑しさを感じさせてくれるのです。、マタイの福音書には "they toil not, neither do they spin." という箇所があり、それを逆に toil a little, spin a little にすげ替えたのです。見事なシナリオです。
残念なことに字幕にはミスがあって、ヴァンダーホフの "toil a little" が "toy a little." になっていました。これでは「ちょっとふざけて・・・」になり折角のマタイ伝が台無しになってしまいます。
この後すぐに上司と口論になったポピンズはエレベーターに乗ろうとするヴァンダーホフを追いかけます。そしてこうヴァンダーホフに告げます。
"The die is cast. I'm a lily."
この "The die is cast." はあのジュリアス・シーザーがルビコン川を前に言い放ったとされる有名な言葉、「さいは投げられた」です。もう後戻りはできない、という格言的な意味合いを含む表現です。そしてその後の "I'm a lily." も、ヴァンダーホフとの会話で交わされた「野の百合」を指していることに相違なく、「すべては天の父が決めること、心配はしません」と宣言したのです。
このように見ると、監督であるキャプラはとても宗教的メッセージの強い台詞を演出しているように早合点してしまいそうですが、この映画が宗教的教義を伝えるものではないことはもちろん、どちらかといえば、その反対側に立つことの面白さを控え目に演出しているような気がします。
例えば、ポピンズの "I'm a lily." という台詞ですが、lily にはアメリカの俗語で「女々しい男、ホモ」という意味があり、ポピンズの話し方や容姿をみると、まさに lily 的要素をそのまま出しているような笑いをとるシーンになっています。野の百合という厳格なメッセージの隣に「同性愛的風体」を置くことがギャップを生み、映画に独特なアップテンポなリズムを与えていることになるのです。
つづく



