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映画の常識にのりながら常識を壊してゆく「アメリカン・ビューティ」、第二弾です。もうこのブログを書くだけで20回近く「かけっ放し」にしておいています。要するに「ナガラ」でこれを書いているのです。
ナガラだといっても、20回近くともなれば、「音」がかなり自然に耳に入ってくる。どこのシーンで、なにを話しているのか、を。まるで自分の部屋の窓外で「ドラマ」が展開している、そんな不陰気です。20年以上前なら決して味わえない「ナガラ醍醐味」を今楽しんでいるのです。
アメリカン・ビューティ
American Beauty
今回は前編に続く後編です。映画批評を改めて読むとやはり賛否両論、評価は両極に分かれるようです。ハッピーエンドで終わらない映画はまず好意的に迎えられない運命にあるのか、「もう一度見たいとは思わない映画」であると批評する人もいるようです。
映画を通して英語を学ぶ場合、好きな音楽を何度も聴いてうっとりするのと同じで、何度も見ることが上達と比例してゆきます。「二度と見たくない映画」とは早々に縁を切るべきだと思いますが、その代わりに何度も鑑賞できる映画を見つけることがその人の語学熟達につながる道であると思います。
「もう一度見たいとは思わない映画」と評する人は、気に入った映画があれば、何度でも見る人なのでしょうか?筆者には「気に入った映画なら何度でも見る人」と「気に入っても一度しか見ない人」の二通りの場合が考えられます。これは良し悪しの問題ではなく、「自分の学習タイプ」をしっかり把握すべく自己検証だと考えてください。読書で言えば、同じ本を何度も読み返すタイプか、それとも数多くの本を一度でいいから多読するタイプなのか、を知ることになります。
批評を読み新たに発見したのは、どんな映画であれ「一度しか見ない人」がいることと、そのような人が「もう二度と見たくない映画だ」と言うのがまったく可能である、ということです。このような批評は独善的な意味合いを含んでいるのであまり注目しても益がないものですが、ついつい人はそのような酷評に目を見開いてしまうものです。自分の語学学習は自分の思うがままやればよいと筆者は思うので、他人の批評がどうであれ、自分がよいと思った映画や素材を大切にしてこれからも楽しく前進してゆけばいい、と願っております。
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この映画で英語を究める!! Episode7 アメリカン・ビューティ(後編)
■Scene3:今週の「覚えたい英語表現」■
覚えたい表現は、この映画にもザクザクとあります。が、それには条件がひとつあります。まず、ひとかどに英語を聞いて理解でき、日常会話はほとんど不自由しない程度の英語力が必要なのです。それは前編でご紹介した「禁句」がベースとなった表現をどう扱うか、注意しなくてはならないからです。
日本人が四文字言葉を連発してはいけない、という法はどこにもありません。むしろ面白がる人がいそうです。もし私たちがたどたどしく英語を話している上、禁句を連発してしまうと、された相手は「真剣に」話をしても無駄だという心理状態になることがあります。つまり、たいした話をしなくてもいいんだ、と投げやりになります。
するとどうでしょう、こちらがいくら頑張っても「良質の英語」を聞くことができなくなります。会話はお互いバランスを保ちながら進行してゆくものなので、文法的にきちっとした英語を話せば、相手はきっと「それに合わせて」正確に言語をあやつるように努力するでしょう。そして、格調高い表現や語法を交えて話をしてくれることにもなるのです。文法は会話とは無縁だ、とは言い切れません。それどころか大いに関係ありなのです。
そこで、今回はムチャクチャ基本的でありながらあまり理解されていない表現を覚えたいと思います。全コーナーの「学びたい英文法」とややダブった感じになってしまうかも知れませんが・・・。
この映画の最後のセリフです。まだ見ぬ人にはネタバレになってしまい、申しわけないのですが、このセリフの重みを理解するには、このセリフの前にある映画全部を見ないとわからない仕掛けになっています。わからない仕掛け、というより、そのセリフだけを聞いてみても「味がしない」のです。そのセリフは次の通りです。
You will someday.
そして、ビートルズの "Because"(編曲)がアカペラで流れます。
このシーンの間隙、なんと表現してよいのやら、なんとも言えないくらい、鳥肌がたつような「間」です。
黒澤明監督が生前、「映画の映画らしさというのは、シーンとシーンのつなぎ目にあるのかも知れない」と何度か語られたのを聞いたことがあります。映画は時間的制約を考えて、とても音楽に似ているとも語られていましたが、このシーンとシーンの間にひそむ何か、という考えはものすごい。
それは実際に目には見えない画面であり、そして多くの場合耳に聞こえない音(シーンのつなぎ目に音を入れる場合があるので)を観客に「感じさせる」ことを次の目標にかかげたのです。やはり黒澤明という映画監督はそれだけでも世界第一の芸術人であることがわかります。その黒澤監督が思い描いた間隙の世界はひょっとするとこの「アメリカン・ビューティ」のラストシーンではないか、と独り善がり的に思っているのです。
さて、このセリフですが、日本語ではどうなっているのでしょう?字幕とアフレコがありますので、ならべて比較してみましょう。
字幕: いつか理解できる。
アフレコ: いつかきっとわかる。
いずれも原文の英語と引きあうので問題はない。字幕の方が字数制限を受けるのでやや短くなっているにすぎません。原文の語数がたった3語なので、短く終わるのは必然でしょう。
ただし!ここが安易に妥協できないところ。そしてこれまで覚えてきた表現の中にも「何たる勘違いをしてきたことか!」と新たに気づくこともありうるとふんで、この表現を選びました。
この英単語3つで重要なのは、助動詞 will と、副詞 someday です。
ああ!英文法書で辞書でこの will がどれだけ単純未来とレッテルを貼られながら「〜になるだろう」と訳すべく判を押したように書かれていることか!
うう!どれだけ副詞 someday が「いつか」とワンパターンに理解され、それ以上の洞察がなされないことか!
最後のセリフは、筆者ならこう書きたい、と例にならって自己顕示させてください。
「必ずわかるときがくるから」
解説しましょう。実はこのセリフの前に、ややむずかしい、主人公の意識の連鎖を編んだようなセリフが続き、そのあと、
You have no idea what I'm talking about, I'm sure.
But don't worry.
というセリフが続きます。そして最後の3語で終わります。「たわ言に聞こえるだろう?大丈夫」(この字幕は素晴らしい)と前置きがあるので、「いつか理解できる」というのは完璧のようですが、この「いつか」というのが具体的にいつなのかを語っているのです。それは自分が「死ぬ」ときのことです。「死」は誰にでもやってくるものなので絶対的なテーマになります。避けることはできない。
問題はその死の直前に、主人公の言っていることが「わかる」場合と、「わからない」場合の二つの岐路があるということです。わかる、わからないを映画はテーマにしていません。テーマにしているのはあくまで「いずれ死ぬときがやってくる」ことだけです。
そうなると、主人公の最後の呟きはどう解釈すればいいのでしょう?これには「文法」が密接に絡んでいるのです。もう一度助動詞 will と副詞 someday に戻ってみましょう。
will はまずどこまで行っても「意志」が働くものであると考えてください。その意志がさらに強力になり、「習性」となるのです。まるで意志したかのように同じことを繰り返す「性」となるのです。なので、You will とは、「きっと」もいいのですが、それより強い「必ず」とするのがふさわしい。なぜなら、これが「死」とダブったテーマになっているので、死は「必ず」やってくるからです。もし「きっと」なら「死なない」かも知れないのです。
この「きっと」を主人公のたわ言が「きっとわかる」としてとらえたのならそれには妥当性があります。しかし、先ほどにも議論したとおり、この場面のメッセージは「人間みな死すべきもの」だと語っているので、「わかる、わからない」が主軸ではないのです。
そしてもうひとつは someday です。確かに「いつか」にしてもいいでしょう。ただ、なぜこれが未来の「いつか」になるのか。ヒントはこの some に含まれています。some は「いくつかの、いくらかの」とある不定数を表す形容詞として使われることを中学で学びます。ところが、some に「かなりの」や「重要な」という意味が含まれていることを学んでいないのです。だから somebody は「誰か」以外に「大物」を意味し、something は「何か」以外に「重要事項」を意味するのです。この場合の someday はほぼ間違いなく「重要な日」つまり、自分の死ぬ日のことを指しているドキッとする言葉です。
さて、これを覚えるのはいいのですが、使い方が問題になります。まさか日常的に「死」のイメージをもちながら、
"You will someday."
などと言いにくいものです。なので、使える状況設定を作ってみましょう。もし、あなたが次のように、
"I can't speak, write, read and listen well in English."
と愚痴ったとしましょう。よく感じるジレンマです。実際はかなりできていることが多いのですが、「ダメだ!」と思ってしまう。そこへ、ネイティブの友人が、
"Don' worry. You will someday."
と言ったらどんなリアクションをしますか?いや、その前にどんな気持になりますか?「いつかできる」って、無責任なこと言うなよ!とムカつくのであれば、別の意味でムカつくべきです。それはまだまだあなたのリアクションが的を得ていないからです。本当は「あんたは必ずやれるよ」と大真面目に答えているので、襟を正さなくてはいけないのです。
さあ、その気持をくみ取り、練習です。
ユウ ウイル サムデイ
ユウ ウイル サムデイ
ユウ ウイル サムデイ
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■Scene4:今週の「ちょっと不満、字幕スーパー」■
本当は Scene3:の You will someday. をテーマにしてもよかったのですが、べつに注意してみたい箇所があったので、ここでは別の表現を取り上げたいと思います。
シーンは主人公の娘ジェイニーと隣人の息子リッキ―が並木道を歩いているところです。何でも美しいものはビデオに撮るのがモットーであるリッキ―は、凍死した女性の画像も撮ってあると打ち明けた。そのときのセンセーションを語っています。
Ricky:When you see something like that, it's like
God is looking right at you, just for a second.
And if you're careful, you can look right back.
Janie:And what do you see?
Ricky:Beauty.
字幕は、
リッキー:「ほんの一瞬、神に見られているという視線を感
じて。僕は神を見返した」
ジェイン:「何を見たの?」
リッキ―:「美を」
となっていました。問題は大きくわけて三つあります。ひとつは like の使い方が比ゆ表現であるはずなのに、比ゆではなく直接的な表現になっているところ。英文に忠実になるなら「神に見られてるという視線を感じて」ではなく、
「そういう特別なものを見ると、そんな自分をまるで神が見ているような気がしてくるんだ。ほんの一瞬だけど」
It's like・・・というのは、あくまで「例えば」と比ゆ的に使うものです。It's like God is looking・・・は、つまり「まるで神様が見ているようだ」だと語っており、「神様そのものが見ている」と言う意味ではないのです。
第一、神に見られているから、見返すという行為の際に「何を見たの?」と聞くのはどこかオカシイ。当然「神」に決まっているからです。そうではないのです。人間的なものを超越した「何か」を感じたはずですらか、ジェインは「何を見たの?」と聞いたのです。
次は時制です。原文は現在形で書かれています。だのに字幕は過去形になっているのです。これはリッキ―の超個人的な体験であるから過去形にした方が無難であると思えても、原文が原文である限り、リッキ―は常々「超個人的体験」をしていることになっているのです。過去の事例ではなく、リッキ―の一般的感覚を物語っているのです。だから現在形で書かれています。
最後は動詞「見る」が二種類使われているところです。リッキ―は look を使っているのに、ジェインは see を使っています。look は「注意して見る」ときに使いますが、see はただ「目を向ければ見えてくる」ときに使うのです。
では、例にならって拙例を出してみたいと思います。
「そういう時って、神の視線を受けた気持になる。
ほんの一瞬だけど。何かあるなって見返すんだ」
「何があるの?」
「・・・美」
「神を見返す」と言ったほうがインパクトが強い。これだけで名セリフになります。しかし、「神」を見返したのなら、"What was God like?" と聞いてみたくなりはしないでしょうか?
この映画もひょっとすると「神の視線」を感じさせてくれるのかもしれません。




