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密室劇の傑作の登場です。近い将来日本にも陪審員制度が導入とあり、そのような意味でもこの映画は再び話題を呼びそうです。
12人の怒れる男
twelve angry men
アメリカ映画は昔から生きたダイアローグがふんだんに使われています。「法廷シーン」は古くから映画に登場していますが、それは被告原告のやりとりが緊張に満ちたもので、傍聴席にいる人たちと同じ空気を吸っているような気にさせる要素が一層濃いからだと思えます。ではなぜこの映画がひときわ注目される映画となり、今に至って語り継がれているのか、ですね。
この映画は実際の犯行を直接に描くことをせず、陪審員の「語り」で犯行の再現を試みているところが秀逸なのです。密室劇だからよりかえって映画的になったと評する向きもありますが、密室劇も古くから使われた手法なので、密室そのものがこの映画の「売り」ではないでしょう。それより、動きの少ない、ほとんどスタティックなシーンが続く密室状態が、この映画の骨子となる「語り合い」の躍動感を押し出すこととなり、少年が犯したとされる犯行の「再現シーン」が見るものの心象風景となって如実に表れてくる、これがこの映画の生命力です。
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この映画で英語を究める!! Episode8 12人の怒れる男
■Scene1:この映画の内容■
12人の陪審員たちが、父親殺しの罪状で死刑宣告を受けた17才の少年に対する評決を出す一幕ものです。同じコミュニティから無作為に選ばれた12人が、少年の有罪無罪を巡って甲乙論駁を展開します。いたって簡単なストーリーのように思えますが、話せば話すほど自らを「暴露」させてしまう、元来人間が個人差こそあれ内側にもっている自己顕示欲、もっと底辺で言えば、「動物の縄張り争い」にも似た防衛本能を描いているようにも思えます。そうなると、これら12人全員が主役と言ってもいいほどです。
ただ番号で呼び合っていた12人、名もない、どこの誰であるかもわからない人間が一同に集まる。少年という軸を中心に、これら12人がグルグルと回り、空虚だった人物が色帯びてくる。皮肉にも、色づけば色づくほど、少年を救うというより「除外」する方向に向く。少年やそれに類する世俗性に対する「反発」がはっきり読み取れる段階に達したとき、空箱だった体が心をもった人間になるのですが、これが「偏見の塊」になっている。少年の犯行を「語り」で再現すると同時に、入り組んだ陪審員の心を描く「ダブル時制」がこの映画ならではの面白さです。
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■Scene2:この映画の英語■
社会派のシリアスドラマですが、使われている英文は平易なものばかりで、構文と文法だけでいえば高校一年生レベルの英語で網羅できるものばかり!それほど基礎的な英文が重要であるという証です。例えば以下のような英文です。
What do we do now? さて、これからどうする?
It's hard to put into words. 言葉でいうのはむずかしい。
I just want to talk. ただ、話してみたいんだ。
Supposing we are wrong. 我々が間違っている、としたら?
Oh, boy, there's always one. やれやれ、物好きはいるもんだね。
It was a quick idea... ほんの、思いつきなんだが。
英文法、構文、単語、どれを見ても難解なものはありません。ただ言い回しで「なぜ There is always one. が「物好きはいるもんだね」になるのか、字幕を見ただけではピンとこないかも知れませんね。ここがまた英語の語感を鍛える絶好の機会になるのです。
文脈から「平易な英文」がその使用法如何により奥深い意味をもつセリフに早や変わりするのです。中学で真っ先に習った "How do you do?" を「はじめまして」と丸暗記していたのが、ある日突然「よろしく」になって返ってくるような閃きなのです。
上の "Oh, boy, there's always one." は字幕によると「やれやれ、いつも一人いる」になっていました。これはいわゆる直訳で、このセリフを呆れたように首を横に振りながら吐くように言う陪審員10番の人物はいったい何が言いたいのかを自分なりに探ることができます。列を組めば必ず一人はみ出すヤツがいる、とでも言うのでしょう、状況から「天邪鬼はどこにでもいる」や「だれかがいつもヘソを曲げる」という感覚でとらえても面白いでしょう。とにかく、平易な英文の分だけ自分なりに遊べるのが魅力なのです。
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■Scene3:この映画から「学びたい英文法」■
今回は助動詞による「独立用法」というものに触れてみましょう。これは助動詞を使って現在や過去の出来事の「推測」をする方法で、「はっきりとわからない」場合に用いることができる便利な用法です。早速場面を拾って例文を出して見ましょう。
陪審員8番は、他の陪審員11人全員が有罪判決を出したい一方、ひとり無罪を主張します。理由は簡単で、証言に「確証」がないと感じたからです。証言台に立った人間の主張をすべて「真実」であると鵜呑みにしてしまう危険性を8番は感じたのでしょう。「証人と言えど人間だ・・・」と残り11人にこう語りかけます。
"They are only people. People make mistakes. Could they be wrong?"
ああ、なんと平易でかつ力強い英文でしょうか!!
今回の独立用法は最後の短い一文、
"Could they be wrong?"
です。can の過去形 could がありますが、これは「過去時制」ではなく、現在時制として理解します。なぜ過去ではないかといえば、「過去を匂わす副詞」が他になく、そんなときに助動詞の could や would, might は現在時制として使うのです。和訳を試みると、
「証人も人間にしかすぎないし、人間は間違いを犯すものだ。だから証人だって間違えることはあるはずだ」
これにはディベートに欠かすことができない基本論理があります。つまり
A=C B=C ゆえに A=B
という簡単な理論が底辺にあるので、8番の論証力は揺るぎない、という設定になっているのです。
could は過去時制のときには「できた」を意味しますが、現在時制のときには「推量」を意味し、「ありえる」となります。英文を直訳すれば「証人だって間違うことはありえるだろう?」となります。あとは自分の感性により、訳を通じた色々なとらえ方が可能なので、ちょっと遊んでみてください。
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■Scene4:今週の「覚えたい英語表現」■
基本的文法と構文を駆使したこの映画は、どこを切っても学べる表現がありますが、シリアスな社会派ドラマなので、うっとりするようなセリフは残念ながらありません。ただ、「前置詞」を使った日常的なイディオムがたくさん語られています。簡単な表現ほど奥が深く、多様性をもっていますので、様々な状況でつかえるものばかりです。そのひとつを紹介しましょう。
議論が白熱する中、熱さも手伝って陪審員たちはイラついてきます。8番ひとりが無罪を主張していること自体に胡散臭さを感じている男たちに正論は通じません。そこで8番は提案します。もう一度無記名投票を自分抜きで行って、全員有罪判決を押すのであれば、判事に評決を報告する。しかし、一人でも「無罪」主張があればこのまま残って話を続ける、という場面です。
"But if anyone votes "not guilty," we'll stay here and talk it out.
とても力のある英文ですね。平易ですが無駄がない。覚えたい表現は最後の
"talk it out"
です。字幕は「もっと話そう」ですが、この表現は「徹底的に話そう」になります。ポイントは前置詞の out ですが、これは副詞として使われています。なぜ「徹底的に」かといえば、みんなが見えないところにある様々な論点を、見えるところに広げようという意識があります。見えないところが "in" であり、見えるところが "out" になります。つまり「内」に隠しておくのではなく、「外」へ広げて見せるのです。議論が見えるように話すということになります。
では、練習です。イディオムは「リエゾン(音の連結)」が命です。
トオ キィタウ
トオ キィタウ
トオ キィタウ
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■Scene5:今週の「ちょっと不満、字幕スーパー」■
魅力的な映画は、同時に魅力的なダイアローグで溢れています。この映画もお互い会ったことがまったくない12人という面白いアングルからの人物設定がなされ、その人物を「語り」によって暴露させる手法をとっていることはすでに書きました。陪審員1番から12番までの面々は声のトーンも違えば話す速さ、使われる語彙、そして微妙なアクセントの違いなど、「語る」魅力を思う存分試せる素材を映画は提供しています。
ただ残念なことに、英語学習から考えると「物足りなさ」だけではなく「異訳」らしきものもあって、オリジナル英語版と字幕及び日本語吹き替え版を比べると、12人の性格描写が異なってしまうという結果になっているのです。今回は字幕ではなく「日本語吹き替え」で「注文」をつけてみます。
12人の中でもっとも証言を冷静に聞いていた一人に4番がいます。常に注意深く言葉を選び、論理的にわかりやすく語る様は他の陪審員を圧倒します。その4番がひとり無罪を主張する8番に、証言を5つのポイントに絞り1点ずつ「おさらい」します。その会話文の一部を紹介しましょう。
"One. The boy admitted going out of the hosue at 8:00 at the night of the murder after being slapped several times by his father."
「第1点。少年は犯行のあった夜の8時に家を飛び出したと認めている。父親に数回頬を平手で打たれたあとのことだ」
というところで4番は6番にさえぎられます。「(アフレコ訳)いやいや、引っぱたかれたんじゃなくて殴られたと言っています。叩くと殴るでは意味が違います」と訂正しようとします。すると、4番は、
"after being hit several times by his father."
と言い直すのですが、ここのアフレコ部分が
「それでは父親に『殴られた』と訂正します」
になっているのです。これは原文と大きく異なります。第三者の訂正を受け入れて「殴られた」となっていますが、原文の意味は slapped と言って punched と訂正を受けたのを嫌って、そのどちらをも意味しうる "hit" を使って訂正したのです!hit なら文句あるまい、と言いたいのです。
これは相手の言いなりのままに言語を使うのではなく、あくまで自分の言葉で世界を見聞きしたいという願望の表れが発言に出たのでしょう。「数回父親に『叩かれた』あとで」という訂正は、この人物の性格描写に欠かせないセリフなのです。訂正といっても、忠告をした相手の道理に従って訂正したのではなく、言葉を発する自分に責任を持たなくてはいけないので、訂正したのです。
ただし、「字幕」はこの部分の処理がうまく、「ビンタではなくゲンコだ」と訂正を受けたあと、「とにかく殴られた後だ」と切り返しているところは見事です。もう拙訳は無用です。
その直後にこのような発言があります。
"Two. He went directly to a neighborhood junk shop where he bought one of those..."
「第2点。少年は直接近くの小道具店に行き、そこで買ったのが・・・」
とまで言いかかったとき、5番が補佐にでます。those のあとに続く言葉を添えようとするのです。それが "switchknives"(飛び出しナイフ)です。ところが、4番は自分が言おうとして言えなかった言葉を隣の人物に言われたものですから、これも気にくわない。なので、
"switchblade knives"
と言い変えるのです。このあたりに、言葉に対する自分の信念のようなものを感じさせる人物をよく言い表しているシーンだと思うのですが、しかし、アフレコは
「飛び出しナイフ」
「そう、飛び出しナイフ」
と、訂正した5番に同調しただけで終わっています。まあ、拙訳など出さなくてもよいのですが、この4番のこだわりを描くにはやはり、
「飛び出す『刃』のナイフ」
とどうしても書いて(言って)おいたほうがよいと思えるのです。
この映画にはまだまだ挑戦的な「訳処」があり、どう字幕、アフレコが施されているか、学習ポイントがたくさんあります。字幕やアフレコをうまく活用しながら、自分だったらどう訳す?とガップリ取り組む学習空間は、自由気ままに楽しめる方法だと思いますが、ひとつ挑戦してみてはいかがでしょう?
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映画の常識にのりながら常識を壊してゆく「アメリカン・ビューティ」、第二弾です。もうこのブログを書くだけで20回近く「かけっ放し」にしておいています。要するに「ナガラ」でこれを書いているのです。
ナガラだといっても、20回近くともなれば、「音」がかなり自然に耳に入ってくる。どこのシーンで、なにを話しているのか、を。まるで自分の部屋の窓外で「ドラマ」が展開している、そんな不陰気です。20年以上前なら決して味わえない「ナガラ醍醐味」を今楽しんでいるのです。
アメリカン・ビューティ
American Beauty
今回は前編に続く後編です。映画批評を改めて読むとやはり賛否両論、評価は両極に分かれるようです。ハッピーエンドで終わらない映画はまず好意的に迎えられない運命にあるのか、「もう一度見たいとは思わない映画」であると批評する人もいるようです。
映画を通して英語を学ぶ場合、好きな音楽を何度も聴いてうっとりするのと同じで、何度も見ることが上達と比例してゆきます。「二度と見たくない映画」とは早々に縁を切るべきだと思いますが、その代わりに何度も鑑賞できる映画を見つけることがその人の語学熟達につながる道であると思います。
「もう一度見たいとは思わない映画」と評する人は、気に入った映画があれば、何度でも見る人なのでしょうか?筆者には「気に入った映画なら何度でも見る人」と「気に入っても一度しか見ない人」の二通りの場合が考えられます。これは良し悪しの問題ではなく、「自分の学習タイプ」をしっかり把握すべく自己検証だと考えてください。読書で言えば、同じ本を何度も読み返すタイプか、それとも数多くの本を一度でいいから多読するタイプなのか、を知ることになります。
批評を読み新たに発見したのは、どんな映画であれ「一度しか見ない人」がいることと、そのような人が「もう二度と見たくない映画だ」と言うのがまったく可能である、ということです。このような批評は独善的な意味合いを含んでいるのであまり注目しても益がないものですが、ついつい人はそのような酷評に目を見開いてしまうものです。自分の語学学習は自分の思うがままやればよいと筆者は思うので、他人の批評がどうであれ、自分がよいと思った映画や素材を大切にしてこれからも楽しく前進してゆけばいい、と願っております。
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この映画で英語を究める!! Episode7 アメリカン・ビューティ(後編)
■Scene3:今週の「覚えたい英語表現」■
覚えたい表現は、この映画にもザクザクとあります。が、それには条件がひとつあります。まず、ひとかどに英語を聞いて理解でき、日常会話はほとんど不自由しない程度の英語力が必要なのです。それは前編でご紹介した「禁句」がベースとなった表現をどう扱うか、注意しなくてはならないからです。
日本人が四文字言葉を連発してはいけない、という法はどこにもありません。むしろ面白がる人がいそうです。もし私たちがたどたどしく英語を話している上、禁句を連発してしまうと、された相手は「真剣に」話をしても無駄だという心理状態になることがあります。つまり、たいした話をしなくてもいいんだ、と投げやりになります。
するとどうでしょう、こちらがいくら頑張っても「良質の英語」を聞くことができなくなります。会話はお互いバランスを保ちながら進行してゆくものなので、文法的にきちっとした英語を話せば、相手はきっと「それに合わせて」正確に言語をあやつるように努力するでしょう。そして、格調高い表現や語法を交えて話をしてくれることにもなるのです。文法は会話とは無縁だ、とは言い切れません。それどころか大いに関係ありなのです。
そこで、今回はムチャクチャ基本的でありながらあまり理解されていない表現を覚えたいと思います。全コーナーの「学びたい英文法」とややダブった感じになってしまうかも知れませんが・・・。
この映画の最後のセリフです。まだ見ぬ人にはネタバレになってしまい、申しわけないのですが、このセリフの重みを理解するには、このセリフの前にある映画全部を見ないとわからない仕掛けになっています。わからない仕掛け、というより、そのセリフだけを聞いてみても「味がしない」のです。そのセリフは次の通りです。
You will someday.
そして、ビートルズの "Because"(編曲)がアカペラで流れます。
このシーンの間隙、なんと表現してよいのやら、なんとも言えないくらい、鳥肌がたつような「間」です。
黒澤明監督が生前、「映画の映画らしさというのは、シーンとシーンのつなぎ目にあるのかも知れない」と何度か語られたのを聞いたことがあります。映画は時間的制約を考えて、とても音楽に似ているとも語られていましたが、このシーンとシーンの間にひそむ何か、という考えはものすごい。
それは実際に目には見えない画面であり、そして多くの場合耳に聞こえない音(シーンのつなぎ目に音を入れる場合があるので)を観客に「感じさせる」ことを次の目標にかかげたのです。やはり黒澤明という映画監督はそれだけでも世界第一の芸術人であることがわかります。その黒澤監督が思い描いた間隙の世界はひょっとするとこの「アメリカン・ビューティ」のラストシーンではないか、と独り善がり的に思っているのです。
さて、このセリフですが、日本語ではどうなっているのでしょう?字幕とアフレコがありますので、ならべて比較してみましょう。
字幕: いつか理解できる。
アフレコ: いつかきっとわかる。
いずれも原文の英語と引きあうので問題はない。字幕の方が字数制限を受けるのでやや短くなっているにすぎません。原文の語数がたった3語なので、短く終わるのは必然でしょう。
ただし!ここが安易に妥協できないところ。そしてこれまで覚えてきた表現の中にも「何たる勘違いをしてきたことか!」と新たに気づくこともありうるとふんで、この表現を選びました。
この英単語3つで重要なのは、助動詞 will と、副詞 someday です。
ああ!英文法書で辞書でこの will がどれだけ単純未来とレッテルを貼られながら「〜になるだろう」と訳すべく判を押したように書かれていることか!
うう!どれだけ副詞 someday が「いつか」とワンパターンに理解され、それ以上の洞察がなされないことか!
最後のセリフは、筆者ならこう書きたい、と例にならって自己顕示させてください。
「必ずわかるときがくるから」
解説しましょう。実はこのセリフの前に、ややむずかしい、主人公の意識の連鎖を編んだようなセリフが続き、そのあと、
You have no idea what I'm talking about, I'm sure.
But don't worry.
というセリフが続きます。そして最後の3語で終わります。「たわ言に聞こえるだろう?大丈夫」(この字幕は素晴らしい)と前置きがあるので、「いつか理解できる」というのは完璧のようですが、この「いつか」というのが具体的にいつなのかを語っているのです。それは自分が「死ぬ」ときのことです。「死」は誰にでもやってくるものなので絶対的なテーマになります。避けることはできない。
問題はその死の直前に、主人公の言っていることが「わかる」場合と、「わからない」場合の二つの岐路があるということです。わかる、わからないを映画はテーマにしていません。テーマにしているのはあくまで「いずれ死ぬときがやってくる」ことだけです。
そうなると、主人公の最後の呟きはどう解釈すればいいのでしょう?これには「文法」が密接に絡んでいるのです。もう一度助動詞 will と副詞 someday に戻ってみましょう。
will はまずどこまで行っても「意志」が働くものであると考えてください。その意志がさらに強力になり、「習性」となるのです。まるで意志したかのように同じことを繰り返す「性」となるのです。なので、You will とは、「きっと」もいいのですが、それより強い「必ず」とするのがふさわしい。なぜなら、これが「死」とダブったテーマになっているので、死は「必ず」やってくるからです。もし「きっと」なら「死なない」かも知れないのです。
この「きっと」を主人公のたわ言が「きっとわかる」としてとらえたのならそれには妥当性があります。しかし、先ほどにも議論したとおり、この場面のメッセージは「人間みな死すべきもの」だと語っているので、「わかる、わからない」が主軸ではないのです。
そしてもうひとつは someday です。確かに「いつか」にしてもいいでしょう。ただ、なぜこれが未来の「いつか」になるのか。ヒントはこの some に含まれています。some は「いくつかの、いくらかの」とある不定数を表す形容詞として使われることを中学で学びます。ところが、some に「かなりの」や「重要な」という意味が含まれていることを学んでいないのです。だから somebody は「誰か」以外に「大物」を意味し、something は「何か」以外に「重要事項」を意味するのです。この場合の someday はほぼ間違いなく「重要な日」つまり、自分の死ぬ日のことを指しているドキッとする言葉です。
さて、これを覚えるのはいいのですが、使い方が問題になります。まさか日常的に「死」のイメージをもちながら、
"You will someday."
などと言いにくいものです。なので、使える状況設定を作ってみましょう。もし、あなたが次のように、
"I can't speak, write, read and listen well in English."
と愚痴ったとしましょう。よく感じるジレンマです。実際はかなりできていることが多いのですが、「ダメだ!」と思ってしまう。そこへ、ネイティブの友人が、
"Don' worry. You will someday."
と言ったらどんなリアクションをしますか?いや、その前にどんな気持になりますか?「いつかできる」って、無責任なこと言うなよ!とムカつくのであれば、別の意味でムカつくべきです。それはまだまだあなたのリアクションが的を得ていないからです。本当は「あんたは必ずやれるよ」と大真面目に答えているので、襟を正さなくてはいけないのです。
さあ、その気持をくみ取り、練習です。
ユウ ウイル サムデイ
ユウ ウイル サムデイ
ユウ ウイル サムデイ
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■Scene4:今週の「ちょっと不満、字幕スーパー」■
本当は Scene3:の You will someday. をテーマにしてもよかったのですが、べつに注意してみたい箇所があったので、ここでは別の表現を取り上げたいと思います。
シーンは主人公の娘ジェイニーと隣人の息子リッキ―が並木道を歩いているところです。何でも美しいものはビデオに撮るのがモットーであるリッキ―は、凍死した女性の画像も撮ってあると打ち明けた。そのときのセンセーションを語っています。
Ricky:When you see something like that, it's like
God is looking right at you, just for a second.
And if you're careful, you can look right back.
Janie:And what do you see?
Ricky:Beauty.
字幕は、
リッキー:「ほんの一瞬、神に見られているという視線を感
じて。僕は神を見返した」
ジェイン:「何を見たの?」
リッキ―:「美を」
となっていました。問題は大きくわけて三つあります。ひとつは like の使い方が比ゆ表現であるはずなのに、比ゆではなく直接的な表現になっているところ。英文に忠実になるなら「神に見られてるという視線を感じて」ではなく、
「そういう特別なものを見ると、そんな自分をまるで神が見ているような気がしてくるんだ。ほんの一瞬だけど」
It's like・・・というのは、あくまで「例えば」と比ゆ的に使うものです。It's like God is looking・・・は、つまり「まるで神様が見ているようだ」だと語っており、「神様そのものが見ている」と言う意味ではないのです。
第一、神に見られているから、見返すという行為の際に「何を見たの?」と聞くのはどこかオカシイ。当然「神」に決まっているからです。そうではないのです。人間的なものを超越した「何か」を感じたはずですらか、ジェインは「何を見たの?」と聞いたのです。
次は時制です。原文は現在形で書かれています。だのに字幕は過去形になっているのです。これはリッキ―の超個人的な体験であるから過去形にした方が無難であると思えても、原文が原文である限り、リッキ―は常々「超個人的体験」をしていることになっているのです。過去の事例ではなく、リッキ―の一般的感覚を物語っているのです。だから現在形で書かれています。
最後は動詞「見る」が二種類使われているところです。リッキ―は look を使っているのに、ジェインは see を使っています。look は「注意して見る」ときに使いますが、see はただ「目を向ければ見えてくる」ときに使うのです。
では、例にならって拙例を出してみたいと思います。
「そういう時って、神の視線を受けた気持になる。
ほんの一瞬だけど。何かあるなって見返すんだ」
「何があるの?」
「・・・美」
「神を見返す」と言ったほうがインパクトが強い。これだけで名セリフになります。しかし、「神」を見返したのなら、"What was God like?" と聞いてみたくなりはしないでしょうか?
この映画もひょっとすると「神の視線」を感じさせてくれるのかもしれません。
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この映画の話をすると賛否両論になってしまいます。それだけ話題性があるということでしょうか。個人的には大変気に入っている映画のひとつで、決め付けてしまうのは気が引けますが、10年に一本出るか出ないかの傑作だと思います。それだけ筆者は気に入ってしまったということです。この気持は将来変わってしまうかも知れませんが、とにかく今回は
アメリカン・ビューティ
American Beauty
しかもパートを二つにわけ、今回は「前編」としてみたいのです。
映画批評では評価がこれほど真っ二つになってしまう映画もそうざらにはありません。それも「好き」か「嫌い」かという感情面が露わに出る評価というより(それも多分にありますが)、「よくできた映画」か「わけのわからない映画」かという論調が多かったように思います。筆者は映画のシナリオや演出、俳優の演技はもちろんのこと、音楽のトリートメント、そしてカメラワークの効用をそれぞれ突合せ、総合的に考えても素晴らしい作品になっていると思います。
個人的な思いを綴らせていただけば、もしこの映画を30年前に見ていたら、この映画を追っかけてアメリカ留学を果たしたかもしれないほど「呆然」となるのです。主人公がのめりこんで行く娘の友人をアメリカン・ビューティとして見る向きは自然かも知れませんが、筆者にとり主人公の娘のほうがアメリカン・ビューティなのです。被写体としての「色」も抜群で、カメラワークの凄さにため息が出てしまいます。
つい語りすぎてしまうので、「英語学習」との関わりに絞ってお伝えしましょう。この映画は他の "R" 指定映画と同じく、子供の鑑賞にはふさわしくない肌の露出、暴力、タブー言語が出てきます。経済大国(他にふさわしい言葉が見つからなかったので)の映画は、かなり以前から "R" 指定ものが当たり前になってしまい、「麗しのサブリナ」のような映画は夢物語の如きに扱われてしまうのが、実は筆者には悔しいのです。この映画が嫌われるとしたら、夢物語的な要素が限りなくゼロに近く、しかも現実感たっぷりのシーンが続くので、現実でさらに現実を見なくてはならない息苦しさを感じてしまうのではないか、と思えます。
ところが筆者は常に「英語」学習を頭のどこかに置いて英米の映画を見ているものですから、息苦しさはほとんど感じておらず、「よくぞここまで言えたものだ!」と感嘆しているくらいなのです。なんの因果か、英米の映画は、当然のことなのかも知れませんが、英語を忘れて見ることができなくなったのです。かつてのように字幕だけをたよりに見ていた自分はもうないのです。そう考えるとちょっと切なくなりますね。
しかし、英語がわかるという見返りは大きい。まだまだ学習途上に自分はあると思う故、余計に映画で英語を学習する効果に驚いている自分なのです。語られる言語はタブー言語である四文字言葉から哲学的な吐露まで、この映画の網羅する言語スペクトラム(元来は分光器にかけて光を虹色にした色の帯という意味)はかなり広いものです。さあ、今回はどんな言葉が飛び出すのでしょうか?
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この映画で英語を究める!! Episode6 アメリカン・ビューティ(前編)
■Scene1:映画の英語■
前回の「麗しのサブリナ」とは打って変わっての言語です。筆者は大分この「四文字言葉」には慣れましたが、それでも連発されると過食したような気分になってしまいます。よく日本人学習者が面白半分に禁句を発すると「うまく使わないと下品に聞こえる」というネイティブ・スピーカーがいますが、どんなにネイティブの人たちが頑張って禁句を上品に言おうとしても、上品には聞こえません!!
普段ののしり語を使っている人でも、やはり「遠慮」はあるもので、激昂のあまり使うときは心情として許される、という暗黙の了解がどうもあるように筆者には思えるのです。「あんなヒドイことを言われたんなら、言い返してやってもいいだろう」と心情的にわかる状況下なら、日本人学習者が禁句を使ってもとやかく言われず、むしろうまく言えたじゃないか!と褒められるかも知れないのです。筆者は何度もそのような体験をしています(どうもカッカとすることが多かったのでしょうか?)
これは余談ですが、とにかく学んでも使わなくてよいのが「四文字言葉」です。使わなければ学ぶ価値がないじゃないか、とくるのはアソビを知らないエリート(もちろんアソビを知っているエリートもおられます)。ののしられても、けなされても、その言葉の扱いの程度がわからず、ただ「笑うしかない」とニコニコすれば、けなしている側の人間も呆れてそれ以上けなせない、というガンジー並の非暴力抵抗が成功するかもしれませんが、たいていの場合、気味悪がられてしまいます。そして一昔前の日本人像のように、ただ「へんにニヤついている、何を考えているかまったくわからない連中」とレッテルを貼ることで終わってしまうでしょう。禁句もやはり生きた言葉なのです。
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■Scene2:この映画から「学びたい英文法」■
この映画の脚本はアラン・ボールという人で、その綿密な設計は映画を何度見ても唸らされてしまいます。セリフひとつひとつにも細かい配慮がなされ、英語学習者にとっては「麗しのサブリナ」とは別の意味で大いに勉強できる素材だと言えるでしょう。今回は主人公の娘であるジェイン(ソーラ・バーチ)が語る、まるで受験英語に出てくる英文を見ていただきます。
隣家に引っ越してきた家族の息子・リッキー(ウェス・ベントレー)と恋人関係になったジェインが自分の父親に対する本心を覗かせたセリフです。
But it'd be nice if I was anywhere near as important
to him as she is.
この he (him) というのは自分の父親のことで、she は自分の友人アンジェラです。父親は美系のアンジェラのことが気がかりで、少しは自分のほうにも気を向けてくれたらいいのに、と本心を見せる重要なセリフです。
まずこの英文は「仮定法」だというのがわかるでしょう。ただし、テストに出てくるような仮定法ではなく、もっと広い凡例で使われる形になっています。そう、Be動詞の were であるべきところが was になっているのです。これは直説法と仮定法を振り分ける上でとても見やすい鍵となるのですが、アメリカ人の多くは仮定法に直説法の was を使いたがるようですね。まあ、it'd be nice の would がありますから、この英文が仮定法だと見抜けるから心配はいらないのですが。
日本人学習者にとり読解レベルでこのような「差」を見分けるのはさほどむずかしくなさそうに思えても、リスニングレベルだとまったくお手上げのようですね。つまり物理的に音として「'd」や「was」がまったく聞こえないから、と理由づけるのです。しかし、ネイティブの人でもこのような「狭間」にある音を正確に聞き取っているかといえば、必ずしもそうではないようです。例えば、it'd be niceの「'd 」が完全に聞き取れるから理解できる、というより、it'd be nice 自体の「ひとかたまり」がどんな音になっているか、を聞き分けるのです。
いきなり it のあとに be がくるのはおかしい、ふつうなら is か was であるはずなのです。原形の be がくる理由は助動詞があるからだと考えるのです。すると可能性は二つでてきます。will か would のいずれかです。しかし、これを「ひとかたまりの音」としてとらえると、
"it'll be nice" イルビ ナアイス
"it'd be nice" イッビ ナアイス
という違いになり、この「イッビ・ナアイス」が仮定法の音なのです。ネイティブはこの差を聞き分けて開いての意志を読み取るのです。
そして次に目立つのはこの構文が「比較原級」の as〜as を使っているところです。この二つの as は同じ品詞ではなく、前が「副詞」で後が「接続詞」です。副詞 as は形容詞 important を修飾し、形容詞 important は前置詞句 to himを修飾しています。一旦ここで英文は切れ、その後接続詞 as とその節である sheis が続きます。私たちはやみくもに as〜as として熟語的に原級を覚えたりしますが、本当は「音」の要素も含め、
I was anywhere near / as important to him as / she is
と切るより、
I was anywhere near / as important to him / as she is
と切るほうが英語の理屈に合っているし、「ポーズ」をとるときも、下の切り方が相手に伝わりやすい切り方なのです。
さて、as〜as の前についている anywhere near ですが、これは副詞 as を修飾する別の副詞になります。この二語を見ると anywhere が名詞、near が形容詞となり、これがなぜ副詞になるか、疑問をもたれる方も多いでしょう。この問題は拙ブログ「英語ブギウギ散策」でいずれ詳解したいと思います。
この anywhere near の意味がなかなか訳せなくて困る学習者が多いようです。これは私たちが some は肯定文で、any は否定文で使う、というワンパターンを覚えさせられたインパクトがあまりにも強く、本来 some が「特別な」で any が「ありふれた」の対比で覚えさせられることがない悲劇とも言えるでしょう。
ビートルズの「ヘルプ!」がそうです。
Help!
I need somebody!
Help!
Not just anybody!
somebody(素敵な人)が欲しいわけで、anybody(女性なら誰でもいい)ではダメなのです!
さて anywhere nice にもどりますが、これは「どこでもいいから近くに」となるのです。それが文脈に合致して「ほんの少し」という副詞になるのです。和訳は「でも、少しはアンジェラと同じくらい大切にしてくれたらなって思うけど」字幕は「でも、もう少し関心を持ってくれたら」になっていました。妥当な訳だと思います。
TO BE CONTINUED 後編へ続く
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