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映画とはやっぱり見せるもの!!
ターミナル (前編)
THE TERMINAL
「プライベート・ライアン」を撮った監督とこの映画の監督が同じ人物であるとは思えるでしょうか?撮るたびに話題性をさらうスティーブン・スピルバーグ監督ですが、映画を見ればその天才ぶりがよくわかります。初作品である「激突」以来、映画の道を歩き進化し続けるスピルバーグ監督ですが、その40年近いキャリアのなかで、首尾一貫として何ひとつ変わっていない部分がひとつあります。それは監督のていねいな「映画作り」の軌跡です。
この映画には殺戮のシーンはおろか、アクションも究極に限られ、あるとしても主人公のヴィクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)がケネティ空港を走り回るシーンくらいなものです。しかもこの主人公、ヨーロッパの小国出身という設定ですから、英語も片言しか話さない。なのに、タップリとストーリーを感じさせてくれるのはやはり「映画は見せるもの」と皮膚感覚で表現できるスピルバーグ監督ならではの妙味です。
「映画は見せるもの」に徹するかと思えば、幾層にもひねりがきいたダイアローグも魅力的で、「見て聞いて楽しむ映画」の領域を如何なく発揮しています。英語をロクに話さないという設定の中で、どのような面白いドラマが展開するのでしょうか。
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この映画で英語を究める!! Episode17 ターミナル
■Scene1:この映画の内容■
人が大勢集まると、なぜか誰かがルールを作り、そのルールに従って行動をするように促し、それに反することをすると、それを犯した場所にいられなくなる罰則を与えます。この映画の舞台であるケネティ国際空港は、まさにそのような人間の小世界が舞台です。この空間に世界中の人たちが集まり、仮想小国が作られているような感じがします。
主人公のヴィクターは、空港で自分の祖国がクーデターで国が消滅してしまい、「国籍をもたない人間」になってしまいます。アメリカ合衆国は国を持たない人間の入国許可をおろしません。ヴィクターは自国に帰ることができず、目的地であるニューヨークに行くこともできません。許された生活空間は、この国際空港のラウンジという小世界だけなのです。
ヴィクターの責任とはまったく関係ないのに、空港にとどまることをよしとしない人たちがいます。国境警備を兼任する税関局の係官たちです。自分の目的地へ行けないし、母国に帰ることもできないジレンマにはさまれたヴィクター本人こそが心身ともに落ち着くことができないはずなのに、空港という小世界を統率する係官たちが落ち着きをなくしているのです。
この設定は単に「母国を失った流浪の人」という、かつて(そして今も)ユダヤの民が味わった悲哀というアレゴリーにとどまるものではありません。演出方法を変えればとてもシリアスドラマに終始してしまいそうなこの題材を、思い切った軽妙な筆さばきでスピルバーグ監督は面白おかしく描き、如何なく発揮されたその演出ぶりは、かつて一時代を築いたビリー・ワイルダー監督を思わせる清々しささえ感じさせてくれます。
この映画の設定にはもっと具体的なアレゴリーが隠されていそうですが、そういう詮索は映画を捻じ曲げてしまう可能性もあるので、ある意味危険かも知れません。よく映画批評のブログには、空港の係官をアメリカ政府と見立て、どのように世界地図を再構成しているかのごとき論調も見られますが、仮にスピルバーグ監督がある種の隠されたメッセージを表出させようと懸命になっていたとしても、露骨に表現をする監督ではないので、かなり抑えのきいた隠し味として味わえる映画だと思います。
なにより面白いのは、言語の扱いですね。英語がわからない者が、いかにしてコミュニケーションを図ってゆこうとするのか、そのプロセスを面白く描いているのです。現実的なのは、空港にいる人がすべて同じタイプの英語を話すのではなく、様々なアクセントやイントネーションにはじまり、明らかに英語が外国語として話されているところまでタップリと描かれ、英語を学ぶ環境としてとても自然な設定になっているのです。
そしてさすがスピルバーグ監督だと思わせるのが、そのダイアローグの緻密さと可笑しさです。文法的にも意義のあるところが多いので、英語学習に向いた教材ともなりうるのです。
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■Scene2:この映画の英語■
この映画の主人公は、英語を母語としない東ヨーロッパ人で、入国審査のとき係官たちの英語をほとんど理解できません。「空港生活」に慣れはじめ、平行して英語も少しずつ身につけてゆくわけですが、この設定が実に気のきいた会話シーンを生み出す結果となったのです。
英語がわからないわけですから、時制や冠詞の問題は言うに及ばず、疑問文の作り方から間違っています。それなのに通じる。理由は簡単です。メッセージの根幹となる単語を必ず並べるからです。あとは時制がムチャクチャでも、主語と動詞の数が合わなくても、「状況判断」で理解が可能になるのです。
こう書くと「文法なんかどうでもいいのでは?」という論調に慌てて走ってしまいますが、ヴィクター・ナボルスキーの英語はいわば「サバイバル英語」であり、生きるための最低限必要な言語活動となっていますから、一見文法が無用な印象を受けるのです。しかし、単語の羅列であっても、そこにはやはり文法の法則が現前としてあるのです。
"Food!" を真顔で十回も繰り返すと「食べものをくれ!」とメッセージが相手に通じることでしょう。しかし、コミュニケーションとなると、相手があってはじめて成立するものですから、相手のメッセージを正確につかみとり、自分の要求を満たすのに相応しい言語を使わなくてはなりません。
英語ができないヴィクターは「役に立つ英語」をあらかじめ用意していたのでしょうか、いくつか表現は英語で言えるようです。しかし、税関係官に「宿泊はラマダ・インへ行くのですか?」と聞かれ、
"Keep the change." (釣り銭はとっておいて)
とまったく状況に合わない英語が飛び出します。
この映画は、しかしながら、一見このような間の抜けたやりとりにも工夫が凝らされているようです。気前よく「釣り銭はとっておいてくれ」と言えば、相手は寛容になり、許可をおろしてくれるという心理がはたらくとでも思ったのでしょうか。筆者にはそのような可笑しさとして映りました。その後、25セント玉をかき集める方法を見つけたヴィクターは、75セントを手に「バーガーキング」へ行き、やっと、
"Keep the change."
と適切な状況のもと使うことに成功するのです。
ただし、これも厳密に言えば「不適切」な状況なのです。釣り銭はとっておいてくれ、の「釣り銭」は、「チップ代としてとっておいてくれ」の意味が込められていますから、ある程度の小銭でなくてはなりません。レストランで食べると、合計金額の10〜15%が相場です。チップの要らないファースト・フード店でしかも1セントだけ「とっておいてくれ」とヴィクターはやりますから、本当はかなりの違和感があるはずです。
映画は「ヴィクターはちゃんと英語を学んでいる」というポジティブな部分を出したかったのでしょう、異文化のコミュニケーションで起きる珍事もこのようなプロットで「さりげなく」盛り込んでいるのです。言語だけがわかればすべてよし、ではなく、それを支える文化母体を理解することが大切であると「ふんわり」わからせてくれるところがいい。スピルバーグ監督はこの「さりげなさ」を連発するのです。
その逆バージョンもあります。言葉を超え、そして恐らく文化も超えた「人間的裁量」をどっしりと感じさせてくれる場面もあります。この映画の見せ場のひとつ、あるロシア人が病気の父に届ける医薬品を入国審査に差し押さえられてしまい、動転したロシア人をなだめさせるためにヴィクターが通訳として話に応じるシーンがあります。没収されかけた大切な薬を「ヤギの薬だ」と偽り、税関通過を成功させるのです。
税関局員主任はヴィクターの嘘を見抜いていましたが、ロシア人が「ヤギの薬だ」と最後に言い切ったので、動物の医薬品に制限がないため税関を通過させたのです。「語られた言葉」が重要であることを、単に美談で終わりそうなこのシーンにうまくブレーキをかけていて、何度見ても圧巻です。スピルバーグ監督のバランス感覚には脱帽してしまいます。
ところで、なぜ「ヤギ」なのかというと、もっとも結び付けやすい考え方は医薬品の違法税関通過を scapegoat として扱ったところでしょうか。scapegoatは「贖罪(しょくざい)のヤギ」ということで、「嘘」という罪をヤギに背負わせ野に放つという意味を込めたのではないか、と思われます。人間的裁量がモノを言うシーンですが、文化の重さを感じさせてくれます。
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■Scene3:この映画から「学びたい英文法」■
いつものことながら、ありすぎて困るのです。今回は二つに絞りましょう。いずれも「冠詞」にかかわることなのですが、英文法とはコミュニケーションのためにあるものだと、つくづく考えさせられる例です。
まずひとつめは、ヴィクターが空港内運搬従業員エンリケに頼まれ、トーレス入国審査官の「プライベート情報」を探るシーンです。引き換えにエンリケはヴィクターに食事を調達するわけですが、何度も入国を拒否されるのをわかりながらトーレス審査官のところへ歩み寄るヴィクターには思わず笑みがこぼれます。そのときにヴィクターが聞いた一言、
"Officer Torres, have you been ever in the love?"
が彼女を怒らせてしまいます。それは英語が間違っているからでは当然なく、誰かに依頼されて毎日個人情報をうかがいに来ていることが許せないのです。ただし、彼女を怒らせるために「呆れる質問」を挿入しただけではないようです。
ヴィクターの英文を正しく書き直せば
"...have you ever been in love?"
と ever 位置と、love の前の定冠詞が間違っているのですが、これはなんとトーレス審査官を怒らせる別の意味をもっています。これを直訳すれば、
「トーレス審査官、経験ありますか、これまでに『あの恋』の?」
副詞 ever が直接 in the love にかかり、the がここで「エンリケとの恋」だと観客が悟るので、まるで「あの男と恋をしたことがあるの?」という風に聞えてしまうのです。だから、「誰か」を感じ取ったトーレス審査官(きれいな人です)は怒ったのです。恐らくそれまでヴィクターが自分の本心を語ってくれた思っていた審査官が「裏切られた」と感じたのでしょうか。感情の流れはとても自然です。
英語が間違いだ、ということで切り捨ててしまうと、このような「アソビ」ができなくなりますので、資格試験(TOEICなど)の限界を感じてしまうシーンですね。
もうひとつは正統な英語冠詞です。上記にもありましたが、ロシア人が薬を無許可で持ち込んだために、税関局は通過させることができません。事態が緊迫しているので、主任を呼びに係官がやってきます。そして、
"Sir, we have a situation upstairs."
と耳打ちするのです。字幕は「階上でちょっと騒ぎが」になっていました。これはとてもよい訳だと思います。この "a situation" の "a" がささやかながらも大胆に物語っているのです。
拙メルマガ「私はこうして冠詞力をつけた!」(http://blog.mag2.com/m/log/0000228765/)で、このような不定冠詞を「しらばっくれる冠詞」として紹介しましたが、「はっきりと言わない」ところが何ともしらばっくれているのです。
"a" は確かに「ひとつ」なのですが、「ひとつ」であることは個の「独立」を意味しますから、ある意味、気になる存在であり、隅に置けないのです。ただどんな「ひとつ」であるかは語っていません。なので「ちょっとした騒ぎが」の「ちょっとした」がピッタリくるのです。
something という言葉がありますが、これは「何かある物」と辞書などで訳されています。この言葉はもともと some thing と二語であったのが一語になったものです。この "some" とは、「ある特徴をもった何か」という意味をすでにもっており、これも「気になる存在」なのです。なので some thing は a thing と書き換えることができるのです。さらに、係官の英語を
"Sir, we have some situation upstairs."
と言い換えることができます。"a" とは、「見過ごすことができない何か」であることを感じるようにすると、これから不定冠詞がついた名詞の風景が違って見えてくるはずです。
★次回後編につづく
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